日本語や英語の感覚から考えると、
「見る」と「見える」は似たような感じです。
しかしタイ語では、この2つに対して全く違った言葉を使います。
見るのドゥーดู(duu)
普通の「見る」「観る」になります。
「視界に入る」という感覚ではなく、意図的に見る場合に使います。
映画を見る ⇒ ドゥー ナン ดูหนัง(duu nǎŋ)
カレンダーを見る ⇒ ドゥー パ ティ ティン ดูปฏิทิน(duu pa tì tʰin)
また、ドゥードゥアンで「占い」という意味を持ちます。
ドゥー ドゥアン ดูดวง(duu duaŋ) ⇒ 占い
ドゥアン ดวง(duaŋ) ⇒ 球体
「~のように見える」にもドゥーを使います。
この犬はライオンのようだ ⇒ マー ニー ドゥー ムアン シントー
หมานี้ดูเหมือนสิงโต(mǎa níi duu mɯ̌an sǐŋ too)
ナン หนัง(nǎŋ) ⇒ 映画
パ ティ ティン ปฏิทิน(pa tì tʰin) ⇒ カレンダー
シントー สิงโต(sǐŋ too) ⇒ ライオン
見えるのヘンเห็น(hěn)
こちらは意識してみるのではなく、視界に入ったという時に使います。
意図的に見ていないけど見えてるよ、という時にも利用します。
パンツ見えてるよ ⇒ ヘン カーンケーンナイ ナ
เห็นกางเกงในนะ(hěn kaaŋ keeŋ nai náʔ)
お菓子みなかった? ⇒ ヘン カノム チャン マイ
เห็นขนมฉันไหม (hěn kʰà nǒm cʰǎn mǎi)
カーン ケーン ナイกางเกงใน(kaaŋ keeŋ nai) ⇒ パンツ
カノム ขนม( kʰà nǒm) ⇒ お菓子
ヘンマイ?の使い方
ヘンマイ เห็นไหม(hěn mǎi) ⇒ 見えますか?
普通に考えるとこの訳になりますし、これであっています。
しかしこの他に、日常生活でよく使うあの言葉として利用できるのです。
ヘンマイ? ⇒ ほら!言ったでしょ!
何となくイメージできるのではないかと思いますが、
見えないの?(見たらわかるでしょ)
という感じですね。
例えば、噛まれるから気を付けてと言われた犬に近づいて噛まれたら、
「ヘンマイ!ボーク レオ マイ チュア!」と言われます。
「ほらみろ!言っても信じないんだから!」という訳になりますね。
ボーク レーオ マイ チュアบอกแล้วไม่เชื่อ (bɔ̀ɔk lɛ́ɛw mâi cʰɯ̂a)
チュア เชื่อ(cʰɯ̂a) ⇒ 信じる
ヘンドゥアイ
見えるの「ヘン」と「ドゥアイ」を合わせることによって、全く違った意味になります。
ヘン ドゥアイเห็นด้วย(hěn dûay) ⇒ 賛成!
「ヘン」が「見える」、「ドゥアイ」が「同じに、同時に」という意味なので、
同じように見える ⇒ 賛成
となるわけですね。
しっかり見るのモーンมอง(mɔɔŋ )
しっかりと見る、凝視するという意味を持っています。
ポイントを絞ってじっくりと見るときに利用します。
きれいな子を見つめる ⇒ モーン コン スワイ มองคนสวย(mɔɔŋ kʰon sǔay )
よく見て ⇒ モーン ディー ディー มองดีๆ(mɔɔŋ dii dii)
「見えない」はなんていうの?
良く見えない時には、なんていえばいいんでしょうか?
ドゥーマイダイ、モーンマイダイなどが使えそうですが、
これらは「見ることができない」という意味なので使えません。
例えば、
テレビが壊れているときには「ドゥー マイ ダイ」
太陽がまぶしくて見つめられない時には「モーン マイ ダイ」
となります。
しかし、テレビとの距離が遠くてテロップが読めない。
太陽が雲に隠れて全く見えない。
真っ暗で鍵穴が見つからない。
こんなときには
モーン マイ ヘンมองไม่เห็น(mɔɔŋ mâi hěn )
を使います。
「見つめても見えない」という直訳になりますが、
要するに「全然見えん」ということですね。
逆に、「よく見える」はモーンヘンとなります。
写真がかすれてあんまり見えない。
遠くの看板がしっかりと見えない。
こんなときには
モーン マイ チャット มองไม่ชัด (mɔɔŋ mâi cʰát)
です。
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มองไม่ชัด じゃなくて เห็นไม่ชัด ですね
タイ人から
ありがとうございます!
基本的に遠くのものを目を凝らして見ようとしてもしっかりと見えない場合は、มองไม่ชัด の方が適している気がします。
ただし、近くのものを見ようとしてはっきりと見えない場合は เห็นไม่ชัด も使えるようですね。
何人かに聞いてみたのですが、最も多かった回答が「どっちでもいい」というものだったので、結局すっきりしないです。。。